1995年からJリーグを歩んできたレイソルの歴史です
1996
エジウソン大爆発平塚(現・湘南)のヘッドコーチ、ニカノールを監督に招聘した。平山智規、明神智和、根引謙介、砂川誠ら「96年組」の若手が加入。だが、最も存在感を示したのはブラジル人FWエジウソンだった。G大阪戦で当時のJリーグ記録となる1試合5得点の大暴れ。チームも第8節の清水戦から第19節の磐田戦までリーグタイ記録となる12連勝。出入りの激しい攻撃的なサッカーで年間順位5位とした。ニカノールはJリーグ最優秀監督に輝き、JFL時代からチームを牽引してきたカレカがこの年限りで引退した。
J1リーグ | 20勝10敗/67得点・52失点/5位 |
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ヤマザキナビスコカップ | 予選L:Aグループ7勝3分4敗(1位) 決勝T:ベスト4進出 |
天皇杯 | 4回戦敗退 |
リーグ戦チーム最多得点 | エジウソン(21得点) |
2.14 | 国際親善試合「日本代表vsオーストラリア代表」に沢田謙太郎が初先発出場 |
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4.17 | 柱谷幸一がレイソル通算100点目となるゴール |
5.4 | 第12節ガンバ大阪戦でエジウソンが5ゴール |
7.21 | アトランタ五輪で西野朗監督率いる日本がブラジルを破る大金星 |
9.21 | 浦和に0-7で大敗、リーグ戦連勝が12でストップ |
11.2 | カレカの現役引退を発表 |
11.9 | カレカ、平塚との引退試合でゴールをあげる |
1997
スーパールーキー北嶋秀朗新加入ニカノール監督のサポート役として、五輪代表の仕事を終えた西野朗がヘッドコーチとしてチームに復帰した。DFの柱アントニオが急遽移籍するも、新加入のジャメーリが、その穴を補って余りある攻撃力を発揮。エジウソンとのコンビで得点を重ねチームの快進撃に貢献、第7節の名古屋戦で昇格後初の首位の座に躍り出た。高校選手権で活躍した北嶋秀朗、U-19日本代表の大野敏隆の加入もこの年。しかし1stステージの好成績とは対照的に2ndステージが10位に終わると、ニカノール監督の退任が決定した。
J1-1stステージ | 11勝5敗/34得点・18失点/3位 |
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J1-2ndステージ | 7勝9敗/29得点・31失点/10位 |
ヤマザキナビスコカップ | 予選L:Dグループ3勝2分1敗(1位) 決勝T:ベスト8進出 |
天皇杯 | ベスト8進出 |
リーグ戦チーム最多得点 | エジウソン(23得点) |
2.5 | 鹿児島県国分市(現・霧島市)でキャンプイン |
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4.10 | アントニオの移籍を発表 |
5.7 | 3連勝をあげ、初の首位に立つ |
6.29 | ワールドユース「日本代表vsガーナ代表」に明神智和、大野敏隆が出場。ベスト8進出を果たす |
8.13 | ゼ・セルジオ監督を解任 |
11月 | 国際親善試合「日本代表vsブラジル代表」に渡辺毅が初出場 |
11.12 | あけぼの山農業公園芝生広場が完成 |
1998
西野新体制も1年目は振るわずニカノールに代わって西野朗コーチが監督に昇格する。開幕当初は好調を発揮したが、守備の崩壊とともに失速していく。特に新たに獲得した外国籍選手が機能せず、5月下旬にチームを去った。だが彼らに代わってクラブが獲得したのは、94年ワールドカップ得点王で欧州最優秀選手に輝いたストイチコフ。ワールドクラスの妙技で観衆を魅了した。西野体制1年目は1stステージ10位、2ndステージ8位と、順位としては振るわずに終わったが、明神智和や南雄太が五輪代表候補に選ばれるなど、今後への期待を覗かせた。
J1-1stステージ | 9勝8敗/32得点・35失点/10位 |
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J1-2ndステージ | 9勝8敗/24得点・26失点/8位 |
ヤマザキナビスコカップ | 予選L:Bグループ3勝1分1敗(予選敗退) |
天皇杯 | 4回戦敗退 |
リーグ戦チーム最多得点 | ベンチーニョ(13得点) |
4.1 | 柏市に「ホームタウン推進室」が設置される |
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5.2 | ブルガリア代表FWストイチコフを獲得 |
8.8 | C大阪に7-5で勝利。両チーム合計得点「12」はJリーグ新記録 |
11.6 | 「柏レイソル市民の会」と「クラブレイソル」が合体し、「柏レイソル後援会」が発足 |
12.22 | 韓国代表DF洪明甫の獲得と、西野朗監督の来季続投を発表 |
1999
ナビスコカップ初戴冠この年レイソルは大きな転機を迎えた。ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)から洪明甫、消滅した横浜Fから薩川了洋が加入。この両者が渡辺毅と3バックを形成したことで、守備力が大幅にアップした。特に韓国代表でもキャプテンを務める洪明甫の存在は大きく、彼が後方からチームを鼓舞することで、北嶋秀朗、明神智和、大野敏隆、平山智規ら若い選手たちの急速な成長を促した。リーグ戦では1stステージ、2ndステージとも4位で年間総合順位は3位。ナビスコカップでは鹿島との壮絶な決勝戦をPK戦の末に制し、初のタイトルを獲得した。
J1‐1stステージ | 10勝0分5敗 26得点/18失点 4位 |
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J1‐2ndステージ | 10勝1分4敗 23得点/18失点 4位 |
ヤマザキナビスコカップ | 決勝T:6勝1分2敗(優勝) |
天皇杯 | ベスト4進出 |
リーグ戦チーム最多得点 | ベンチーニョ(10得点) |
1.6 | 玉田圭司、杉山新の加入を発表 |
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4月 | 「柏レイソル後援会」が発足「レイソル後援会」に名称変更、活動地域を拡大 |
4.24 | ワールドユースナイジェリア大会で日本が準優勝。南雄太が出場 柏の葉公園総合競技場がオープン、こけら落とし |
6.1 | 柏市が柏レイソルに出資 |
7.1 | ストイチコフの退団を発表、翌日バデアの加入を発表 |
11.3 | ナビスコカップ決勝戦vs鹿島戦に勝利、初のタイトル獲得。大会MVPに渡辺毅 |
12.3 | Jリーグ優秀選手に洪明甫、明神智和、渡辺毅が選出 |
2000
日本人選手の戦力が充実日本人選手の層が充実し、過去最高の成績を収めたシーズンだった。北嶋秀朗はこのシーズン18ゴールを挙げ得点王争いにも参戦。明神智和はシドニー五輪に出場しただけでなく、A代表でもアジアカップ優勝に貢献。そこに平山智規や大野敏隆の成長も加わってチーム力が格段にアップした。チームは年間を通じて好調を維持し、2ndステージ第14節の名古屋戦を逆転で勝利すると2位に浮上。最終節鹿島との直接対決で勝てば優勝というところまで迫るも、スコアレスドローでステージ優勝は逃した。しかし年間勝点数ではリーグ1位となり、Jリーグの1シーズン制を促すきっかけとなった。
J1-1stステージ | 10勝0分5敗/25得点・22失点/4位 |
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J1-2ndステージ | 11勝1分3敗/23得点・10失点/2位 |
ヤマザキナビスコカップ | 決勝T:1勝1分(2回戦敗退) |
天皇杯 | 4回戦敗退 |
リーグ戦チーム最多得点 | 北嶋秀朗(18得点) |
4.1 | 第4節FC東京戦に勝利、Jリーグ100勝目 |
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5.10 | 前年のJ1得点王、黄善洪獲得 |
6.1 | 「(株)日立スポーツ」から「(株)日立柏レイソル」に社名変更。クラブステートメント「生活がスタジアム。」を発表 |
9.23 | シドニー五輪で日本はベスト8の成績を収める。予選含めた全試合にMF明神が出場 |
11.26 | 第15節鹿島戦に引き分け、ステージ優勝を逃す |
11.30 | 優秀選手に薩川了洋、渡辺毅、洪明甫、明神智和、北嶋秀朗が選出 |
12.11 | ベストイレブンに洪明甫、明神智和。最優秀監督に西野朗監督選出 |
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