1995年からJリーグを歩んできたレイソルの歴史です
前身時代
日立製作所サッカー部の全盛期1940年、前身となる日立製作所本社サッカー部が設立された。その7年後に東京実業団リーグ3部に加盟し、58年の第11回全日本実業団選手権決勝で古河電工(現・ジェフ千葉)を破って優勝、創設以来の栄冠を手にした。
65年に始まった日本リーグには、創設メンバーとして当初から参加。72年にはヤンマーとのデッドヒートを制し、日本リーグ初優勝を成し遂げ、天皇杯でも初優勝を飾り2冠を達成する。
80年代に入るとチーム力が低下し、日本リーグ2部に降格するなど低迷期に突入。当時、日本サッカー界にプロ化に運気が高まり、その中で日立サッカー部もプロリーグ参入を表明した。
しかし、Jリーグ創設時の10チームからは漏れ、新設されたJFLに回ることを余儀なくされる。93年、チーム名を「日立FC柏レイソル」と改名、さらに昇格の切り札としてカレカが加入。その年の昇格こそ実現しなかったが、翌94年の最終戦でJFL2位を決め、悲願のJリーグ昇格を手にした。
全日本実業団リーグ優勝 | 1958、1960 |
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日本リーグ優勝 | 1972 |
天皇杯 | 1972、1975 |
JSLカップ優勝 | 1976 |
日本リーグ2部優勝 | 1991 |
1940 | 日立製作所本社サッカー部創部 |
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1965 | 日本リーグ発足。初年度は8勝1分5敗で4位 |
1969 | 元日本代表監督・高橋英辰氏が監督に就任、黄金世代を築く |
1972 | ユニフォームを水色から黄色へ変更、日本リーグ初優勝、天皇杯初優勝 |
1985 | 西野朗が釜本邦茂に並ぶリーグ記録の8試合連続ゴールを記録 |
1990 | プロリーグ参入を表明 |
1991 | ホームタウンが千葉県柏市に決定 |
1992 | チーム運営会社として「株式会社日立スポーツ」設立 |
1993 | チーム名が「日立FC柏レイソル」に決定 |
1994 | JFL2位でJリーグ昇格を決める |
1995
待ち受けていた初年度の苦難JFL時代から引き続き指揮を執るゼ・セルジオ監督は、1年目のチーム目標を「5位以内」に掲げる。しかし大半のメンバーが新加入選手ということと、カレカの故障での出遅れが大きく響き、6月末には6連敗、ホームでは10連敗という大不振で、1stステージを最下位で終えた。ゼ・セルジオ監督は解任され、サテライトのアントニーニョコーチが監督に昇格。ベンチーニョとカイオが新たに加わり、酒井直樹、渡辺毅といった若手も台頭。2ndステージは高い攻撃力を武器に、最終的には5位という好成績を残した。
Jリーグサントリーステージ | 7勝19敗/30得点・46失点/14位 |
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Jリーグニコスステージ | 14勝12敗/57得点・54失点/5位 |
天皇杯 | 2回戦敗退 |
リーグ戦最多得点 | 棚田伸(16得点) |
2.5 | ブラジル・アチバーヤでキャンプイン |
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3.18 | Jリーグ開幕、清水にVゴール負け |
5.3 | 新潟県内で初のJリーグ公式戦となる広島戦開催 |
6.9 | 佐藤東里社長退任、柏樹隆氏の新社長就任を発表 |
7.28 | ゼ・セルジオ監督を解任 |
7.31 | アントニーニョコーチの監督就任を発表。FWベンチーニョ、FWカイオ加入を発表 |
9.27 | 応援番組「CAN DO!レイソル」(千葉テレビ)とレイソルオーレ!(bayFM)スタートを発表 |
10.28 | 「日本代表vsサウジアラビア代表」に、DF沢田謙太郎が出場。レイソル所属選手として初 |
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