TOP > クラブ > ヒストリー > 年表 > 歴史年表 2001-2005

クラブ

歴史年表 2001-2005

1995年からJリーグを歩んできたレイソルの歴史です

2001

急ぎすぎたチーム改革
西野監督解任と洪明甫退団

前年の年間総合勝点1位という数字が示す通り、「優勝」の二文字を目標に掲げて臨んだシーズンである。

だが、大黒柱・洪明甫の故障による長期欠場と、黄善洪の不調も重なり優勝争いからは離脱していく。
チームに刺激を与えるため、6月にスティーブ・ペリマンをヘッドコーチに招聘し、西野朗監督との二頭体制を敷いた。

結局1stステージ終了後に西野監督を解任し、ペリマンの監督昇格を発表する。それでも成績好転には繋がらず、2ndステージを7位で終えた。さらにこの年限りで洪明甫もレイソルを去り、一つの時代が終焉を迎えた。

成績
J1リーグ1stステージ 8勝0分7敗 29得点/23失点 6位
J1リーグ2ndステージ 6勝3分6敗 29得点/23失点 7位
ヤマザキナビスコカップ 決勝T:2勝1分1敗(2回戦敗退)
天皇杯 3回戦敗退
リーグ戦チーム最多得点 黄善洪(10得点)
トピックス
1.10 韓国代表MF柳相鐵ら新加入選手を発表
4.29 北嶋秀朗が自身初のハットトリックを8分間で達成
6.6 元清水監督のスティーブ・ペリマン氏のヘッドコーチ就任を発表
7.21 1stステージ終了。8勝7敗の6位
7.23 成績不振を理由に西野朗監督解任を発表
8.16 03年からの柏の葉へのホーム全面移転計画を発表
12.10 南雄太がフェアプレー個人賞受賞

2002

忍び寄る暗雲
最終節で残留を決める

この年は日韓ワールドカップがあり、Jリーグは変則日程にて行われた。
チームから明神智和、黄善洪、柳想鐵がW杯に出場した。

だがこの3名のW杯による消耗は大きく、2人の韓国人選手はリーグ戦再開後、わずか2試合に出場しただけでチームを去ることになる。
連敗を重ねるチームは残留争いに巻き込まれ、ペリマン監督は解任された。

エジウソンの再加入、マルコ・アウレリオ新監督の就任も浮上のきっかけにはならず、終始不安定な戦いを続けた。
最終節、宇野沢祐次とエジウソンのゴールでG大阪戦に勝利し、J1残留を決めた。

成績
J1リーグ1stステージ 4勝0分11敗 20得点/31失点 14位
J1リーグ2ndステージ 6勝3分6敗 18得点/17失点 9位
ヤマザキナビスコカップ 予選L:Aグループ1勝4分1敗(2位)
天皇杯 決勝T:1回戦敗退
3回戦敗退
リーグ戦チーム最多得点 エジウソン(7得点)
トピックス
1.25 元ブラジル代表MFサンパイオらの加入を発表
6.9 W杯ロシア戦に明神智和が出場(レイソル所属選手として初のW杯出場)
7.10 エジウソンの再加入を発表
8.8 ベリマン監督を解任
8.18 マルコ・アウレリオ監督の就任を発表
9.7 柏の葉へのホームスタジアム全面移転延期を発表
11.30 最終節G大阪戦に勝利、J1残留を果たす

2003

世代交代による刷新
ワールドユース組の台頭

続投したマルコ・アウレリオ監督は若手選手を積極的に起用し、世代交代を進めて前年不振のチームからの脱却を図った。
2年目の近藤直也、永田充、宇野沢祐次、ルーキーの谷澤達也、矢野貴章らはU-20日本代表に召集され、故障の矢野を除く4人はワールドユースに出場した。また、玉田圭司が大ブレイクし、11ゴールを挙げる活躍を見せる。

しかし、若手が多いこともあってか、チームの不安定さは拭えず、1stステージは9位、2ndステージは11位と成績は伸びなかった。
北嶋秀朗、大野敏隆というチームの顔が去ったシーズンでもあった。

成績
J1リーグ1stステージ 6勝3分6敗 19得点/19失点 9位
J1リーグ2ndステージ 3勝7分5敗 16得点/20失点 11位
ヤマザキナビスコカップ 予選L:Bグループ0勝3分3敗(4位で予選敗退)
天皇杯 4回戦敗退
リーグ戦チーム最多得点 玉田圭司(11得点)
トピックス
3.1 小野寺重之が代表取締役社長に就任
4.1 ホームゲームで「選手チャリティオークション」開始
6.12 大野敏隆の京都への期限付き移籍を発表
11.27 ワールドユースのU-20日本代表メンバーに、永田充、近藤直也、谷澤達也、宇野沢祐次が選出される
11.29 萩村滋則がレイソル通算500ゴールをあげる
マルコ・アウレリオ監督の退任と、来季からの池谷友良スクールマスターの監督就任を発表

2004

初の年間最下位で入れ替え戦へ
薄氷を踏む思いの残留

池谷友良を新監督に迎え、開幕2連勝と出足は快調だった。

しかし、3節の新潟戦で大逆転負けを喫して以降、2度の4連敗を含む12試合勝ち星からは見放された。
玉田圭司がアジアカップで日本の優勝に貢献し、2ndステージから早野宏史が監督に就任したが、1stステージから続く悪い流れは断ち切れなかった。

年間順位で最下位となったが、翌年からJ1のチームが2チーム増えるという変則レギュレーションにも助けられ、入れ替え戦に回ることになる。
ここで福岡に勝利。J1の意地を見せ、土壇場で踏み止まった。

成績
J1リーグ1stステージ 3勝3分9敗 14得点/22失点 15位
J1リーグ2ndステージ 2勝7分6敗 15得点/27失点 15位
J1・J2入れ替え戦 対アビスパ福岡 2戦2勝
ヤマザキナビスコカップ 予選L:Dグループ1勝3分2敗(3位で予選敗退)
天皇杯 4回戦敗退
リーグ戦チーム最多得点 玉田圭司(10得点)
トピックス
1.28 新体制記者発表。新スローガン「走魂宣言」発表
1.31 J昇格10周年を記念した「DECADE 柏レイソル10年史」発表
3.19 玉田圭司、永田充が2006W杯アジア予選対シンガポール戦の日本代表候補に選出
3.31 2006W杯アジア予選対シンガポール戦で、玉田が代表戦初出場
7.2 池谷友良監督の辞任、早野宏史氏の後任監督就任を発表
8.7 アジアカップ2004、玉田のゴールなどで日本が優勝
11.28 年間最下位が決定、J2リーグ3位の福岡との入れ替え戦へ
12.10 福岡との入れ替え戦2戦にいずれも勝利し、J1残留確定

2005

混沌と錯綜のシーズン
屈辱のJ2降格

前年の2ndステージから引き続き早野監督が指揮を執った。
だが前年からの悪い流れはなおも続き、前半戦12試合中、無得点が6試合と極度の得点力不足に陥り下位に沈む。

中盤戦以降、レイナウド、フランサという大物ブラジル人を獲得、さらにラモス瑠緯をコーチに招聘し巻き返しを図るも、27節の浦和戦で0-7という大敗を喫したのを機にチームは浮上の力を失った。

16位となり前年に続く入れ替え戦へ。
ホーム日立台で、甲府のバレーにダブルハットトリックを決められる悪夢の大敗。屈辱のJ2降格となった。

成績
J1リーグ1stステージ 8勝11分15敗 39得点/54失点 16位
J1・J2入れ替え戦 対ヴァンフォーレ甲府 2戦2敗
ヤマザキナビスコカップ 予選L:Cグループ2勝2分2敗(2位で予選敗退)
天皇杯 5回戦敗退
リーグ戦チーム最多得点 クレーベル(8得点)
トピックス
1.24 鹿児島県さつま町でキャンプイン(~2.12)
3.1 崔成國の期限付き移籍加入発表
4.23 名古屋戦敗戦後に両チームサポーターが乱闘、当時Jリーグ史上最高額の制裁金1000万円を課せられる
6.5 初のサポーターズカンファレンスを開催
8.28 薩川了洋がJリーグ通算300試合出場を達成、レイソル在籍選手で初
8.29 (株)日立スポーツ(当時)初代社長を務めた佐藤東里氏が逝去
12.10 ヴァンフォーレ甲府との入れ替え戦に2敗、J2降格が決定
12.21 早野宏史監督辞任を受けて、来季の新監督に石崎信弘氏の就任が決定
   

All Rights Reserved, Copyright (C) KASHIWA REYSOL